連載第2回「涙の禊」のお話の続き
今日は、どん底の孤独の中にいた私が、どうやって少しずつ前を向けるようになったのか……その「きっかけ」についてお話しします。
■ 24時間「ママ」でしかない日々の限界🤯
当時の私は、自分の時間はほとんどありませんでした。
日中は、まだ幼くて超絶扱いの難しいニャン吉とギャングエイジと呼ばれる4年生のワン助のフォローと、炊事洗濯に追われ、
夜は睡眠障害に悩み、世間から切り離されたような感覚……。
でも、療育園には入れていたので、障害児ママ達、何よりも先生とは繋がれていたので、そこは療育園に入る前と比べたら天と地ほどの差があります。
丁度その頃、アパートから一戸建てに引っ越ししたのですが、隣も目の前のお家もママ、パパ、おじいちゃん、おばあちゃんまでも、みんな働いている様でした。
日中、シーンとした家々中で、私の掃除機の音だけが周囲に響きます。
何か、自分が一般の子育てだけでなく、一般の家庭からも置いていかれる様な焦りを感じました。
「私はこのまま、ニャン吉のお世話だけして年をとっていくのかな?もう働けないのかな?」
そんな不安で押しつぶされそうでした💦
しかし、今思うと、働ける人もいれば、子供、自分の体調、家族の体調、色んな理由で働けない方は沢山いるわけです。
私の様に勝手に卑屈になる必要も無いと思います。
逆に今こうして働いていても、色んな理由で休職する方、辞めていく方、いらっしゃいますし、専業主婦でいた方が家庭が回るご家庭も沢山あると思います。
これは、あくまで私個人の価値観で不安になったり焦ったりしています😅💦
そこはご了承ください😌
■ きっかけは「長男の塾代」!ママ、動く。💰🏃♂️
そんな時、小4だった長男(ワン助)の教育方針でパパと意見の不一致が。
「東京は習い事してる子ばかりで、放課後遊べる子がいないし、暇を持て余してるワン助を塾に入れたい✏️」という私と、「塾なんてまだ4年生だし、まだ早いんじゃ無い?」というパパ。
私はついに決意しました。
「よし、塾代は私が稼ぐ!そのお金で塾へ行かせよう!」
これが、7年のブランクを破る私の再就職への第一歩でした。
■ 履歴書に書いた「自閉症の息子がいます」の文字✍️💦
でも、求人を探すと不安が襲ってきました。
「自閉症の子がいるなんて言ったら、即不採用かも……」
悩んだ末、履歴書には正直に書きました。
「自閉症の4歳児がいます。9時〜13時までしか働けません」
祈るような、不採用を覚悟した瞬間でした。
■ 「仕事」という名の救いとの出会い💼✨
ところが、面接官の反応は意外すぎるものでした。
「あ、そうなんですね。でもこの時間は出られるんですよね?じゃあ大丈夫です😊」
……えっ、それだけ!?!?
私があんなに悩み、抱え込んでいた「障害児の母」という壁は、社会に出た瞬間、驚くほどサクッと受け入れられたんです。
一歩外に出て、「にゃん吉ママ」ではなく「一人の人間」として必要とされる場所ができたとき、心に新鮮な空気が流れ込んできた気がしました🌿

■ 10年後の私から伝えたいこと🎁
あの頃の私は、「障害児の母」という重いレッテルを自分に貼り、世間の目を恐れて縮こまっていました。でも、一歩外へ出て気づいたのは、世間は意外なほどドライで、そして優しいということでした。💐
職場の扉を開ければ、そこには色んな背景を持つ人たちがいました。
• 女手一つで家計を支えるシングルマザーさん
• 夫の病気や家のローンのために、黙々と働き続ける大先輩
• 将来のために、あるいは今の孤独を埋めるために、それぞれの理由で汗を流す同世代
幸せいっぱいな人なんて、実はそんなにいないのかもしれません。皆、人には言えない事情や切なさを抱えながら、それでも今日を繋ぐために「働く」という場所を選んでいる。
詮索もされず、ただ「一人の働き手」として混ざり合える。そんな、良くも悪くもドライで多様な「ごった煮」の空間が、私には何より心地よかったのです🌿
もし今、何かの理由で「私は普通じゃないから」と社会に出るのをためらっているなら、大丈夫。
世間は、あなたが思うほどあなたのプライベートを気にしていません。
大事なのは、どんな家庭かではなく、あなたがそこで元気に働き、笑っていること。
お金は将来のために必要だし、何より働くことは、あなた自身を自由にしてくれるはずだから。💪✨


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