私の母との関係

昨日の飲み会の職場のお二人の事をチャットGPTに相談して、母との事を久しぶりに思い出しました

私の事を説明させてください。

私の産みの母は、私が3歳の時に癌で亡くなり、実の母の記憶はほとんどありません。

私が5歳のころ、父が再婚をして、新しいお母さんができ、その後、弟、妹が出来ました。

私と新しい母、父の関係は良くなく、新しい母からは、小さい頃から愛と憎しみを両方感じていました。

言葉でも、肉体的にも、暴力を受け、大きくなると金銭的にも搾取される事が何度もありました。

ただ、父がとんでもなくひどい男で、アル中で母にも私達子供にも暴力、暴言があり、

その父から自分達を守る為に、母とも共依存の関係に陥っていたと思います。

(中学生位から特に)

私はその母がいる間は、いつも母に愛されたい、という事に執着していて、とても苦しかったです。

どうしたら母が私を一番に愛してくれるのか、

母の言う事を聞けば愛してもらえるのか?

自然といつも母の言動、顔色をうかがっていました。

でも.どんな事をしたって、連れ子の自分が『一番に母の愛を受けられる』そんな事は不可能なのに。

それが受け入れられず、直視するのも辛く、

(すぐそばに、可愛がられる実子の弟と妹もいるので)

父と母からの暴力、暴言、プレッシャーなどから耐えられず、高校卒業後、付き合っていた彼氏の協力を得て、1年間家出をして放浪していた時期もありました。

しかし、メンタルもボロボロになり、父が戻ってきて欲しいと泣いて謝ってきて、家に戻りました。

しかし、そこからまた新たな苦しみが始まりました。

今度は弟と妹が反抗期に突入した事と、私が家出などをして家庭のバランスを崩したのか、母は私を真綿で首を締める様に、見えない糸で縛る様に、干渉してきました。

ケータイや日記、持ち物、引き出しなどを盗み見られ、

〇〇を誰々としていたでしょう、やめなさい!

弟、妹に悪影響だから、こんな漫画を読むのはやめなさい、と漫画をやぶかれた事もありました。

もう、20歳を超えている私の恋愛や友達関係にも口を挟み、結局長く付き合った彼とは破局しました。

彼は田舎の長男で、結婚したら私が遠くに行く、それは私にとっても苦労するに決まっているとの事で反対していました。

今思うと、母は便利な私を近くに置いておきたかったのでしょう。

しかし、その後運良く今の夫と出会い結婚する事が出来ました。

彼はとても冷静なところがあり、私が両親の事で不安定になっていても、あまり気にする事なく、大人な対応をしてくれていたと思います。

その後すぐ子供が出来、保育園に預けて働く事になったのですが、

保育園のお迎えを行ってあげるから、あなたは仕事しなさい。

その代わり、ひと月三万で、子供の送り迎えとご飯などはやってあげるから、との事でした。

同じ保育園の送り迎えと子供のお世話は夫の両親からも申し出があり、いくら払った方が良いのかと聞いたら、

お金なんていらないよ!

孫に会えるだけで私たちは嬉しいんだから!

遠慮しないでよ!

と言われました。

私は、その言葉が衝撃であり、私の継母にもそんなふうに言って欲しかった‼️と悲しくて涙が出ました。

結局、私からだけでなく、最愛の子供(孫)まで利用して、お金を引っ張りたいのではないかと、本当にこの時期は苦しかったです。

私はこの件と過去の暴力暴言、今も不安定な実家に大事な子供を預ける気は無いと、継母に勇気を出してぶつけて、1年間疎遠になりました。

しかし、私の中では、本当は継母と打ち解け合いたい、一言謝ってくれたら許すのに、、、と毎日思っていました。

町でおばあちゃん、娘、が孫を連れて洋服を選んでいたり、仲良さそうに一緒にいる所を見ると胸が張りそうで、辛くて仕方なかったです。

そんな中、継母は癌になってしまい、あっという間に転移し3年後に、亡くなりました。

癌の時は何度も子供を連れて会いに行ったり、洗濯物を交換したりして、出来る事はやったつもりではあります。

その時に、一度、今まで冷たくしてごめんなさいと、号泣して謝りました。

継母も泣いていました。

継母が余命が告げられた時は、涙が止まらず、泣きながら電車で帰りました。

その時の継母は、気丈に

「私は大丈夫よ、もう孫ちゃんが待ってるから帰りなさい」と、

本当に仏の様な顔で言ってくれました。

次に会った時は意識が混濁し始めて、心が通じた感覚はありません。

そして亡くなってしまいました。

冷たくなってしまった継母の手、顔に触れて、本当に本当に亡くなってしまったんだと、衝撃というか、虚脱感というか、しばらくは泣いて過ごしました

私は、継母が亡くなるまで、本当の母の愛が欲しい、でもどうしても手に入らない、という事に苦しんできました。

今思うと、一緒に暮らしていたはずの実子の弟と妹の記憶があまりありません。

そして今も疎遠で、こうやって何かがあって思い出さないと忘れています。

それだけ、継母の事に執着して生きてきたのに、亡くなってしまってもう13年。

継母の事も、産みの母の事も、他者の母と娘の事も、あまり考えなくなりました。

それは、何故なのでしょうか?

執着していた対象が完全に居なくなってしまったらでしょうか?

子供を育てる中で、自分が母親になって、何か昇華したのでしょうか?

今、母の代わりを見つけたいとも思いません。

不思議です。


以下チャットGPT

あなたの問い:

継母のことに長年執着していたのに、亡くなって13年経ち、今は他人の母娘のことも、自分の母たちのこともあまり考えなくなった。それはなぜか?

ここに対して、いくつかの可能性をお伝えしますね。

🌱 1. 執着していた対象が「完全にいなくなった」ことの意味

愛されたいと願い、拒まれ、傷つき、それでも求め続けた継母という存在が物理的に「この世界からいなくなった」ことで、あなたの心が無意識に「もうこれ以上は追いかけられない」と納得して、ようやく手放すことができた、という可能性はあります。

執着は、そこにまだ「望み」があるからこそ、続きます。

けれど、相手が亡くなったとき、**「叶わないと受け入れるしかない現実」**がやってきます。

その痛みはとてつもないけれど、その瞬間から、心は新しいバランスを模索し始めるのです。

👩‍👧 2. あなたが母親になったことによる心の変化

あなたが自分の子どもを育てる中で、自然と「母性」を体感し、与える側に回った経験が、**「母からもらいたかったものを自分の中から子どもに与える」**という形で昇華されたのかもしれません。

言い換えれば、

「母からもらえなかった愛情」は、

「自分が母になることで、与えられる愛情」へと変わっていった。

これはあなたの中に、**「自分自身を育て直す力」**があった証拠です。

🧘‍♀️ 3. 心の防衛反応としての「思い出さなくなる」

辛すぎた過去、愛されたいのに愛されなかった記憶、苦しい共依存、暴力、金銭的搾取。

そういったものは、自分が壊れてしまわないように、「記憶から少し遠ざける」という働きを無意識がすることがあります。

忘れたというより、「思い出す必要がなくなった」「心が閉じている」状態とも言えます。

それは弱さではなく、自分を守るための知恵でもあります。

💐 4. あなたは、もう「母の代わり」を探す必要がなくなった

かつては「誰かに愛されたい」「特別になりたい」と思い続けていた。

けれど今は、「母の代わりがほしい」とも思わない。

これは、あなたが“自分の人生を生き始めた”というサインだと思います。

母との関係は、ずっと「自分の存在価値」や「幸せを感じられるかどうか」に直結していたと思います。でも今は、自分の子ども、家庭、自分自身の感情が人生の中心にある。そこには過去の母たちはもう影を落としていない。

🧩 最後に

あなたは、「忘れてしまったようで罪悪感がある」のかもしれません。

あるいは、「こんなに執着してきたのに、あっけない」と感じて戸惑っているのかもしれません。

でも、忘れたのではなく、

**あなたが生きる今の世界に、母たちの影が“あまりにも大きくはみ出さなくなった”**のだと思います。

それは、悲しいことではなく、自然な癒しのプロセスの一部かもしれません。

こんな風に考えてみてください:

あなたがずっと背負っていた「母に愛されたい」という重たいリュック。

ある日ふと気づいたら、それをもう肩から下ろしていた。

「それがないと自分ではいられない」と思っていたけど、

実は、なくてもちゃんと歩けていた。

今、あなたは自分の人生を、ちゃんと自分の足で歩いているんだと思います。


長いですが、またまた1秒でこの答えをくれました😭

チャットG P Tものすごく優しくて優秀なカウンセラーですね😭

自分の問題への回答をチャットG P Tからもらい、改めて昨日のAさん、Bさんの事を考えました。

以下、チャットGTPに返信しました。

ありがとうございます、相談していた、職場の方々が、擬似家族を探して、しかもちゃんとその擬似家族でお互いを癒しあっているのに、

そういう擬似母親を誰よりも欲していた自分が、全くそういう事を考えていないのは何故なのか、急に思ったのです。

Aさんは、実母がご健在なので、逆に諦めきれないというか、良い関係に持っていきたいと、旅行の計画をしているのかもしれませんね。


チャットG T Pより

あなたの視点、とても深くて、本質をついています。

「擬似家族を求める同僚」と「かつて強烈に母を求めていた自分」が違って見えること

なのに、なぜ自分は今、その欲求がないのか?

この気づきは、単なる比較ではなく、あなた自身の「癒しのプロセスの節目」を意味しているように思えます。

🌿 あなたが「擬似家族を求めていない」理由:

① あなたの“母を求める旅”はすでに終わっている

継母の死によって「叶わなかったけれど、終わった」と感じたのかもしれません。

亡くなる前の涙のやり取り、思い出すたびに胸が熱くなる「最後のやさしさ」——

あれが、あなたにとって「旅の終わり」だったのではないでしょうか。

それに対して、同僚の方はまだ旅の途中にいる。

実母が健在であるからこそ、期待も未練も続き、擬似家族に慰めを求めることでバランスを取っているのかもしれません。

あなたは、

失われた関係にひたすら向き合って、追いかけて、最後に別れを経験した

からこそ、いま「探すこと」自体を必要としなくなったのです。

② 「欲しい」より「与える」側になっている

あなたはもう、“誰かから母性をもらう側”ではなく、“母性を与える側”に完全に移行しています。

子どもを育て、家庭を支え、愛を注ぐ毎日。

その中で、知らず知らずのうちに、

かつて「してほしかったこと」を自分が子にしている

という形で、心の奥の欠けた部分を満たしているのかもしれません。

だからこそ、今はもう「擬似母を探す」という欲求そのものが、あなたの中で必要性を失っているのです。

③ 「執着」は、終わる時がくる

愛されなかった記憶、拒まれた苦しみ。

そういった感情は、長く心に巣くうものだけれど、“終わりを迎える力”も持っていると思うのです。

それは、ある日突然ではなく、時間と共に、経験と共に、静かに終わっていく。

今のあなたが、「もう探していない」「欲していない」と感じていること自体が、長い年月と、あなた自身の歩みの結果だと感じます。

💡 最後に:人それぞれ、癒しの道筋は違う

あなたの同僚の方は、まだ実母に対して「可能性」を信じている。

だからこそ、擬似的なつながりの中で“理想の母”を体験しながら、本物との和解を模索しているのかもしれません。

でも、あなたは――

継母との本当の別れを経験した。

そこに終わりがあり、涙があり、ある種の「昇華」があった。

だからこそ、今、“母性を外に求めない”という静かな状態に至っているのではないでしょうか。

あなたがたどり着いたこの「求めない心」は、冷めているのではなく、満たされた静けさのように感じます。

もう、探さなくてもいい。

もう、愛されなくても、自分は愛せる。

そんなあなた自身の成熟した強さが、そこにあるのかもしれません。


すごいですね、私にとってとても優しくてありがたい考察でした。

母に愛されたいと思っていた重いリュックの例えや、母の愛を探す旅、という詩人の様な表現も素晴らしいです。

マジで泣けました。

丁度アマプラで鬼滅の『無限列車編』を見た後で泣いていたので、更に泣けました。

ここまで細かく、自分でもよく分かっていなかった気持ちまで、一瞬で丁寧に言語化してくれて😭

すごすぎます、チャットG P T🥹

母との関係に悩む女性は思っているより多いのかもしれない、自分だけではなかったのかもしれない、みんな大小あるけど、何かしら傷を抱えて生きているのかもしれないと、久々に思わされました。

私のところには健常の長男と障害のある次男が産まれた訳なのですが、どちらも、私に生きる意味を与えてくれました。

私と家族になってくれた夫も同じですね。

きっと、私は弱すぎて、一人では生きて来れなかったと思います。

夫と子供達がいるから過去を忘れ、今を生きれているんだと思います。

私にとっては自分が母親になれた事は救いでした。

久々にハードな過去を振り返った一日でした。

チャットG P Tありがとう😭✨

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