ここ最近、なんだか首が詰まるような、言いようのない閉塞感の中にいました
家族のこと、子どものこと、日々のあれこれ……。
さらに更年期のメンタルや体調の波も重なって、気づけば自分のためのスペースが心のどこにもなくなってしまっているような、そんな息苦しさだったのかな..😖
そんな中、予定していた友達とのランチが急遽キャンセルになりました。
明日、丸一日暇になるなぁ..😳
明日は、パパも在宅ワークで出かけられないって言ってるしなぁ。私が家にいてもお互いに気を遣うなぁ😓と思った昨日の夜。
頭に浮かんだのが、「逗子に行こう」という選択肢でした。
ふと浮かんだというより、何年も前から、ずっと胸の底の方で、逗子を見たいなぁ…という思いはあって、ついにその気持ちを引き出したというか…
逗子は、実は私の生まれ故郷なんです🌊
居たのは通算四年位だったと思いますが…
しかし、逗子は、私にとってただの「懐かしい故郷」ではないんです。
幼い頃に母の癌が発覚し、幸せの絶頂から一転して家族が悲しみの底へ落ちていった場所。その後に始まった、決して温かいとは言えなかった複雑な家庭環境の記憶が眠る、少し切なくて、苦しい場所でもありました。
家から電車に揺られて2時間、片道1500円。
いつでも行けるはずなのに、何年もその決断ができなかった場所に、私は今日、不思議なタイミングに背中を押されて向かうことにしました。
◇
だけど、出発するときの心境は「楽しみ!ワクワク!」なんてものとは程遠かったのです。
天気も雨で景色も気持ちもどんより。
なんなら、わざわざ切なくなりに、悲しみに行きつくような、そんなどんよりとしたモード。
電車に揺られながら、ふと、いつも相談相手になってもらっているAIの「ジェミニ」に、今のこの複雑な気持ちを吐き出してみました📱
「どうしてワクワクしないのに、私は逗子に行きたいんだろう?」
そう問いかけた私に、ジェミニは驚くほど優しく、私の心を紐解いてくれました。
「今の現実の閉塞感から、自分の命の原点に触れることで、一度役割を脱ぎ捨てて『私』に戻ろうとしているのかもしれません」
「あの過酷な環境の中でも、ひとりで海を見て、貝殻を拾って健気に生きていた小さな自分を、迎えに行って抱きしめるための旅なんですよ」
その言葉をスマホの画面で読んだとき、電車の席で思わず涙が溢れてしまいました。
誰のためでもない、自分のためだけに時間とお金を使って、過去の傷ついた自分を癒やしにいく。そんなこと、ずっとしてこなかった様な気がして…
🚃横須賀線に揺られて、鎌倉の次はもう終点逗子❗️
私の知ってる景色は残ってるのか…?
17年ぶりに降り立った逗子の駅は、多分昔の面影を残していました。
この白い駅と後ろにそびえる山を覚えています。

私の記憶は駅周辺はほぼ0に近く、しっかり記憶に残っているのは、海と幼稚園と住んでいたアパートです。
Googleマップを見ながら、まずは幼稚園に..歩いて行きました。
昔からそうだったのかなぁ?
幼稚園までの道で見かけるお家は豪華なお家ばかり。
広くて豪華な家が並び、多くの家の軒先にはサーフボードが立てかけられている。洗練された、「眩しすぎる豊かさ」が漂う街でした。
歩き進めて行くと…
私が通っていた幼稚園がありました!
あの階段登ったなあ!まだあったんだなぁ🥹
なんだか、嬉し懐かしく感じました。
幼稚園を確認できたので、あと少しで海のはず!
海の方に歩いて行くと、道路に砂が混じり始めました。
なんとなく潮の香りがします。
海はもうすぐのはず…‼️
トンネルを潜ると、目の前に逗子の海が広がっていました。

変わってないなぁ…🥹
綺麗だなぁ…🥹
しみじみ、そう感じました。
この海を、この景色を小さい私も見ていたなぁ..と。
砂浜を歩いて行くと、たくさんの貝殻が打ち上げられていました。
「わぁ!いっぱいある!」
心の中で声をあげて、夢中で綺麗な貝殻をいくつか拾って袋にいれました。
その瞬間、何十年も前の「小さな私」と、「今の私」が同じ気持ちで貝を拾っていました。
貝だけじゃなくて、ヒトデやウニの殻も打ち上げられていました。



私の小さな頃は夏だったのかな?
よくクラゲ🪼が打ち上げられていて、持ち上げて海に何度も何度も🪼を帰してあげて遊んでいました。
あぁ、逗子の海は私に沢山宝物をくれたんだな…
そう思い、また涙が溢れて来ました。
この日は丁度雨も降っていたので、数人のサーファーさんと私しか海におらず、なんだか女性が一人で海見て泣いてるなんて、ドラマみたいなクサい場面ですが、誰も近くに居なかったので、思う存分自分の感情に浸れました😂
そして、自分の住んでいたアパート場所へ行くと…
またまた新しくて立派なお家がビッシリと建っておりました。
アパートが無くなってしまった事に少し寂しさもありますが、でも、海や幼稚園が変わらずに残っていた事を見届けられたので、私はもう既に今日の目的は達成しました。
また海に戻り、後悔無いように海の景色を目に焼き付けました。


この街を歩きながら、色んな事を考えました。
私には海という宝物を見せてくれた逗子。
しかし、地縁のないこの土地で、条件だけで結婚した若い父と母は、新生活と新しい命を授かるという幸せと共に、病魔や子育てに直面し、孤独や限界を感じた、苦しい場所だったのだろうと思います。
私も辛かったが、誰も悪くなかったのだろう。
みんなあの閉塞感の中で、精一杯生きようとして傷ついていたんだな、と。
そう思えたとき、行く前を支配していたあの首が締まるような息苦しさと「悲しみ」が、海の波に洗われるようにスーっ….と静かに、いつのまにか消えていました。
◇
結局、お腹もそんなに空かなくて、現地では何も食べずに飴を舐めながら帰りの電車に乗りました。
だけど、行く前のどんよりした気分はどこかへ消えて、心は不思議とすっきりとした元気に満たされている。
それが本当に不思議でした。
(その不思議なスッキリ感と元気は後日分析出来ました)
帰路の途中で、私はもうひとつの自分の本音に出会いました。
綺麗で、絵に描いたような「健全さ」が溢れる逗子の街は、私には少し眩しすぎて、時にしんどさを感じてしまうかもしれないな、ということ。
どのお家も素敵で外車や高級車が停めてあり、趣味のサーフボードもあって…
金銭的にとても住める場所ではありません。💦
それに比べて、いま私が暮らす東京の、あの「ごった煮」のような雰囲気。
色んな人がいて、色んな事情を抱えた人が、お互いに干渉しすぎずにすれ違っていく匿名性。完璧じゃなくていい、標準じゃなくていい、それでいて福祉の手厚さもある。
「ああ、私はやっぱり、今の東京の暮らし好きだな」
転勤で何度も引越しをしている私には「ふるさと」とはっきり呼べる場所はありませんが、「逗子」「静岡」「東京」がそれぞれ、私を育ててくれて、学びを与えてくれているんだと思いました。
逗子の海がくれた綺麗な貝殻。
綺麗に洗ってガラスの瓶に入れて飾ってあります。
小さな「逗子」が、東京の私の近くに居てくれる。
まるで、「大丈夫だよ、私(逗子)はここにいるよ」と言ってくれる様な🥲
そんな優しさを逗子の貝殻からもらっています。
心が詰まりそうになったら、いつでも自分だけの海へ、自分を迎えに行けばいい。
その小さなお守りを得た、私にとって大切な気づきを与えてくれた1日でした🌊

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